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名古屋地方裁判所 昭和62年(ワ)2058号 判決 1992年2月07日

原告

福井富造

被告

カネ美食品株式会社

ほか一名

主文

一  被告大鐘正仁は、原告に対し、金四五四七万四一〇八円及びこれに対する昭和六〇年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告大鐘正仁に対するその余の請求及び被告カネ美食品株式会社に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告カネ美食品株式会社との間においては、全部原告の負担とし、原告と被告大鐘正仁との間においては、これを二分し、その一ずつを各自の負担とする。

四  この判決は、第一項につき仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して金一億〇八〇三万九一二九円及びこれに対する昭和六〇年二月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、左記一1の交通事故の発生を理由として、被告大鐘正仁(以下「被告大鐘」という。)に対し自賠法三条、民法七〇九条に基づき、被告カネ美食品株式会社(以下「被告会社」という。)に対し自賠法三条、民法七一五条に基づき、それぞれ損害賠償を請求する事案である。

一  争いのない事実

1  交通事故

(一) 日時 昭和六〇年二月七日午後七時三五分ころ

(二) 場所 愛知県西加茂郡三好町大字莇生字平地八四番地三付近路上

(三) 加害車 被告大鐘運転の普通乗用自動車

(四) 被害者 原告

(五) 態様 被告大鐘が、加害車を運転して国道一五三号線を東方から西方に向けて走行中、右国道と南北の狭い道路とが交わる十字路交差点(以下「本件交差点」という。)付近において、右国道を北方から南方へ自転車で横断中の原告に加害車を衝突させた。

2  加害車の所有関係等

(一) 加害車は、被告大鐘が所有していた。

(二) 被告大鐘は、被告会社に雇用されており、本件事故は、被告大鐘が、勤務先(マーケツトであるギヤラリーアピタ内の被告会社の出店。以下「アピタ豊田店」という。)の店長であり上司であつた田辺靖善を、同人の依頼により自宅の近くに送るべく加害車に同乗させ、退社帰宅の途中に発生したものである。

二  争点

1  被告大鐘の過失の有無および過失相殺の成否

(一) 原告の主張

被告大鐘には、制限最高速度が時速四〇キロメートルのところを時速六五キロメートルをはるかに超える速度で、しかも、自己の進行する方向の信号が赤色か少なくとも黄色になつていたのにこれを無視し、かつ、前方の注視を怠つて本件交差点付近を進行した過失がある。

(二) 原告らの主張

原告は、被告大鐘が青信号に従つて進行中であつた優先道路である国道一五三号線を、左右の車両の走行状況を十分に確認することなく、自転車に乗つたまま、北方から南方へ横断しようとして加害車の直前に進行し、本件事故に遭つたものである。したがつて、本件事故は、原告の一方的な重過失に基づいて発生したものであつて、被告大鐘には何ら過失はなく、仮に同被告に過失があるとしても、原告側に八割五分以上の過失がある。

2  被告会社の責任原因

(一) 原告の主張

被告会社は、被告大鐘に対し昭和五九年七月から継続的にマイカー通勤に要するガソリン代を支給し、マイカー通勤のために駐車場を確保し、駐車料金を全額負担してきたものであるから、事実上、被告大鐘による加害車の運行を支配・管理することができたのであつて、社会通念上、当該運行が社会に実害をもたらさないよう監視・監督すべき立場にあつたというべきである。しかも、本件事故は、勤務先の店長の命令で同人を自宅まで送つていく途中で発生したものであるから、被告会社は、自賠法三条による運行供用者責任を負うものというべきである。

また、被告大鐘の自動車通勤は、右のようなガソリン代の支給や駐車場の確保という被告会社の事業の執行行為に帰因して必然的になされたものであるから、民法七一五条にいう「事業ノ執行ニ付キ」なされたものと解し得るし、本件の場合は、勤務先の店長を自宅まで送つていく途中の事故であるから、行為の外形から見ても事業の執行に当たることが明らかである。そして、さきに挙げたような事情からすれば、使用者責任の根拠である報償責任の法理及び危険責任の法理から見ても、被告会社は、本件事故につき、民法七一五条による使用者責任を免れ得ないものというべきである。

(二) 被告会社の主張

原告は、被告会社において交通費としてガソリン代を支給していたこと及び通勤車両の駐車場を確保していたことをもつて、被告会社が加害車の運行を支配・管理していたと主張するが、被告会社における被告大鐘及び店長田辺靖善の業務は、いずれもアピタ豊田店における食品の製造・販売であり、車両の運転とは全く関係がない。したがつて、右の事情をもつて、マイカー通勤による車両の運行につき支配・管理があるとはいえないし、本件事故当時、たまたま、マイカーが故障したため、自宅が同一方向である被告大鐘運転の加害車に右田辺店長が同乗していたからといつて、右運転が被告会社の業務の執行に該当するものではないことも明らかである。

3  損害額(その前提として原告の本件事故当時の収入額、後遺障害の程度等)

第三争点に対する判断(引用する書証は、すべて、成立に争いがないか、又は弁論の全趣旨により成立を認める。)

一  被告大鐘の過失の有無及び過失相殺の成否

1  まず、甲四ないし六、八ないし一二、一四、乙一、二(いずれも枝番を含む。)、調査嘱託の結果、証人福井克子、同田辺靖喜、同池田一広、原告本人及び被告大鐘本人に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 本件事故現場は、東西に走る片側一車線の国道一五三号線と幅員の狭い南北の道路とが交わる十字路である(以下「本件交差点」という。)。

(二) 本件交差点では信号機等による交通整理は行われていない(後記(四)の東西道路に設けられた信号機は、本件交差点における交通整理を目的としたものではない。)が、東西の国道一五三号線は中央線が設けられた優先道路とされており、南北道路の側には、北方から本件交差点に進入する車両のために一時停止の道路標識が設けられていた。

(三) 国道一五三号線は、本件事故現場付近では、最高速度が時速四〇キロメートルに制限されていた。

(四) 本件交差点の数メートル西側には、歩行者用押ボタン式信号機の設けられた横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)があり、歩行者が右信号機の歩行者用押ボタンを押すと同時に、東西の国道一五三号線に設けられた信号機の表示が黄色に変わり、その三秒後にこれが赤色に変わつた。一方、歩行者用の信号機の表示は、歩行者用押ボタンを推してから五秒後に青色になつた。

(五) 本件事故現場付近においては、東西道路はほぼ直線であつたため、東西方向の見通しは良かつたが、本件交差点の北側と南側には家屋が建て込んでいたため、東西道路と南北道路の相互の見通しは悪かつた。なお、本件事故当時、本件事故現場付近は比較的交通量が少なかつた。

(六) ところで、原告は、本件事故当時、本件事故現場から自転車で数分ほどの距離にある株式会社カンペ三好カラーセンターに出向していたが、昭和六〇年二月七日は、午後七時半少し前くらいに勤務を終え、本件交差点の南数十メートルのところにある自宅に帰るため、いつものように自転車に乗つて、午後七時三五分ころ本件交差点に差しかかつた。

(七) 一方、被告大鐘は、アピタ豊田店における勤務を終え、右時刻ころ、加害車を運転して、いつものように、国道一五三号線を東方から西方に向けて時速六〇キロメートル前後の速度で走行し、本件交差点に差しかかつた。

(八) 被告大鐘は、本件交差点の手前で多少加速し、時速約六五キロメートルの速度で本件交差点を通過しようとしたが、後記の衝突地点の約一七メートル手前に至つて、自転車に乗つて北方から本件交差点の横断を開始した原告を発見し、急制動の措置をとるとともにハンドルを左に切つたが及ばず、本件事故に至つた。

(九) 原告の自転車と加害車との衝突地点は、本件横断歩道の東側約二・七メートルの地点であり、右衝突地点の西側〇・二メートルのところに表示された停止線上には、これと平行に自転車の前後輪によるものと思われる黒ずんだ痕跡が残つていた。

2  ところで、加害車が本件交差点に進入した時点における前記信号機の表示については、関係者の供述が著しく食い違つており、原告本人が、いつものとおり歩行者用押ボタンを押し、歩行者用の信号機の表示が青色に変わつたのを確認してから横断を開始したと思うと述べ、同人の妻である証人福井克子も間接的ながらこれにそう供述をしているのに対し、被告大鐘及び加害車の同乗者である証人田辺靖喜は、一貫して、東西の国道一五三号線の信号機は青色を表示していたと述べている。

しかしながら、原告の自転車と加害車との衝突地点等に照らすと、被告大鐘及び証人田辺靖喜の右供述は、容易に措信することができない。すなわち、原告の自宅へ至る道路の位置関係から考えると、仮に、原告が歩行者用押ボタンを押すことなく南北道路を横断して自宅に帰ろうとする場合には、本件の衝突地点を通ることはまず考えにくく(乙一の一の実況見分調書添付交通事故発生現場見取図には、南西方向に進行する経路が表示されているが、これは立会人である被告大鐘の指示説明を基に警察官において推測したところを記入したものにすぎない。)、原告が衝突地点を通つたのは、歩行者用押ボタンを押した上、その位置から、自宅に至る南側道路に向かつて、南東方向に進行していたからであると考えるのが合理的である。また、原告が南西方向に進行していたのであれば、自転車の前後輪によるものと思われる痕跡が停止線と平行に付いていたということも説明しにくい点であり、右の痕跡は、南東方向に進行していた原告が衝突直前にハンドルを右側(加害車と反対の方向)に切つたことにより停止線と平行に付いたものと考えるのが自然である。

以上によれば、加害車が本件交差点に進入した時点においては、東西道路の信号機は、赤色か、少なくとも黄色を表示していたものと認めるのが相当である。被告大鐘及び証人田辺靖喜の前記供述以外に、右の認定を左右するに足りる証拠もない。

3  右1、2に認定した事実によれば、被告大鐘は、本件横断歩道の手前の信号機の表示が青色から黄色又は赤色に変わつていたのに、一気に本件交差点と本件横断歩道を通り抜けようとして、加速した上、制限最高速度を約二五キロメートル上回る時速六五キロメートルの速度で進行し、本件横断歩道の近くを自転車に乗つて走行していた原告に加害者を衝突させたものであるから、本件事故は、主として被告大鐘の過失により発生したものというべきである。

もつとも、原告の側にも、左右の安全確認を十分にしないままに、幹線道路である国道一五三号線を横断しようとした点において、多少の過失があつたとは否定し得ないところであるから、過失相殺として、原告の損害額からその一割を減ずるのが相当である。

二  被告会社の責任原因

1  甲七、一〇ないし一二、丙二、三(いずれも枝番を含む。)、証人長江實、同田辺靖喜及び被告大鐘本人に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 被告大鐘は、昭和五九年九月一日から、アピタ豊田店に勤務していた。当時、同店には、同被告のほか、店長の田辺靖喜と三名のパート職員が勤務していた。

(二) 被告大鐘らのアピタ豊田店における業務は、同店内における寿司、惣菜の製造・販売であり、材料は被告会社の本部から一日一回配送されるため、右の出店業務については、材料の仕入れその他の理由で車の使用を必要とすることはなかつた。

(三) 被告大鐘は、アピタ豊田店に勤務していた期間中、自家用車(加害車)で通勤していた。

(四) 被告会社は、自家用車で通勤する社員のため、店長等を通じて勤務先の近くに駐車場を確保し、駐車場料金を負担していた。

(五) また、被告会社は、社員が自家用車で通勤する場合、一リツトル当たり一〇キロメートル走行することを前提として必要なガソリンの量を算出した上、被告会社の取引先のガソリンスタンドにおける一リツトル当たりのガソリン価格に五円を加算した金額を基準にガソリン代を計算し、これを通勤手当として支給していた。そのほか、被告会社は、自家用車で通勤する者に対し、任意保険に入るよう指導をするなどしていた。

(六) 一方、店長の田辺靖喜も自家用車で通勤していたが、三、四日前から同人の車はライトが壊れて乗れなくなつていたため、たまたま、本件事故当日は、同人の依頼により、被告大鐘が、同人を加害車に同乗させ自宅近くまで送り届けることになつた。

2  そこで、右に認定した事実に基づいて検討するに、本件事故は、被告大鐘が自家用車(加害車)を使用して通退勤する途上で発生したものであるところ、加害車が、平素、材料の仕入れ、販売、店長の送迎その他被告会社の業務に使用されていたという事実はないし、被告会社において、業務の必要上、被告大鐘に対し自家用車による通勤を指示・奨励していたという事情も見当たらない。後者に関しては、なるほど、原告の指摘するように、被告会社は、自家用車で通勤する者に対し通勤手当としてガソリン代を支給し、通勤車両の駐車場を確保していたものであるが、右は、公共交通機関を利用して通勤する者に対し定期券代を支給するのと同様に、一般的な人事労務管理の一環として行われていたと考えられるのであつて、直ちに、被告会社が、業務の必要上、自家用車による通勤を指示・奨励していたことの証左となし得るものではない(ちなみに、証人田辺靖喜及び弁論の全趣旨によれば、被告大鐘の自宅からアピタ豊田店へは公共交通機関を利用して通勤することが可能であつて、被告会社としては、格別、被告大鐘に自家用車で通勤させる利益・必要はなかつたものと認められる。)。

してみると、本件事故当時、被告大鐘が加害車を運転していたのは、被告会社の業務とは何ら関係がなく、被告大鐘において自らの利便のために自らの判断でこれを通退勤に使用していたものにすぎないから、被告会社が本件事故につき運行供用者責任ないし使用者責任を負ういわれはなく、このことは、被告大鐘が右に認定したような事情でたまたま勤務先の店長を加害車に同乗させていたとしても、別異に解すべきものではない。

三  損害額

1  治療費

弁論の全趣旨によれば、治療費として右金額が支払われたことが認められる。

2  付添看護費(将来の分を含む。)一七四三万〇三三一円

甲一、二、一六、二五ないし二八、証人福井克子及び原告本人に弁論の全趣旨を総合すると、原告は、本件事故により、脳挫傷、頭蓋底骨折、頭蓋骨骨折、左鎖骨骨折、左片麻痺、両耳出血、鼻出血、外傷性シヨツクの傷害を受け、昭和六〇年二月七日から昭和六一年三月三一日までの四一八日間、東名脳神経外科病院に入院していたこと、原告は、このうち四五日間は意識不明の状態にあつたこと、原告の妻である福井克子は、右入院期間中、同病院において原告の付添看護をしたこと、福井克子は、本件事故当時、藤和ライト工業株式会社に勤務し、昭和五九年度において二一〇万五二五五円(一日当たり五七五二円。円未満切捨て。)の収入を得ていたが、原告の付添看護をするため、昭和六〇年二月八日から欠勤し、同年六月には右会社を辞めるに至つたこと、原告は、退院後も、食事、入浴、洗面、衣服の着脱など日常生活の多くの面で他人の介助を必要としたこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。また、後記8のとおり、原告は、昭和六一年一〇月一七日に症状が固定した後も、神経系統の機能又は精神に著しい障害が残り、そのため、身体的能力が甚だしく低下したのみならず、痴呆前状態ないし準痴呆状態となつているものである。

右の事実によれば、原告は四一八日間の入院期間を通じて付添看護を必要とする状態にあつたものと判断される(甲一には、付添看護を要する期間として、昭和六〇年三月三一日までの五三日間との記載があるが、右甲一は同日までの入院治療に関する診断書にすぎないから、右の記載をもつて付添看護の必要期間を五三日間に限定するのは相当ではない。)ところ、原告の妻の入院付添費は、同人の従前の収入をも考慮して、一日当たり六〇〇〇円と認めるのが相当であるから、四一八日間では二五〇万八〇〇〇円となる。

また、右の事実によれば、原告は、東名脳神経外科病院を退院した翌日である昭和六一年四月一日から、平均余命である二一年間(昭和六〇年簡易生命表によれば、五八歳の男性の平均余命は二〇・九七年である。)にわたり、生涯他人の介助を必要とする状態にあるものと判断される。そして、右の認定事実のほか、原告の場合、必ずしも終日付添看護を必要とするものではないこと、原告の妻の年齢(昭和四年三月五日生まれ)にかんがみると、今後同人が長期間にわたつて前記の収入を維持することができたとは認め難いこと、その他本件記録に顕れた諸般の事情を考慮するならば、右の介助料(付添看護費)は、二一年間を通じて、一日当たり三〇〇〇円と認めるのが相当であるから、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右の介助料の本件事故当時における現価を算出すると、次のとおり、一四九二万二三三一円となる。

3000円×365日×(145800-0.9523)=1492万2331円(円未満切捨て)

3  入院雑費 四一万八〇〇〇円

入院雑費は、一日当たり一〇〇〇円と認めるのが相当であるから、四一八日間で右金額となる。

4  医師、看護婦への謝礼 六万円

証人福井克子によれば、原告は医師、看護婦へ相当額の謝礼を支払つたことが認められるところ、原告の入院期間、受傷内容等を考慮すると、少なくとも原告の請求にかかる右金額は、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。

5  通院交通費 二万八〇〇〇円

甲二及び証人福井克子によれば、原告は、東名脳神経外科病院を退院後、症状の固定した昭和六一年一〇月一七日までに、娘の車で同病院に一四回通院していることが認められるところ、通院に要した実費は、適切な立証はないが、一回の片道当たり一〇〇〇円を下回らないものと認める。

6  自転車代 一万円

証人福井克子によれば、原告が乗つていた自転車は三万円程度で購入したものであることが認められるところ、購入した時期、修理の可否等は証拠上明らかではないが、本件事故による損害は一万円を下回らないものと認める。

7  休業損害 七〇八万一二四八円

甲一九ないし二三、証人福井克子及び原告本人によれば、原告は、昭和五九年一〇月一三日、関西ペイント株式会社を定年退職し、同月一五日、日急株式会社に再就職したこと、原告の昭和五九年度の収入は六七五万三二一四円であつて、うち五九七万三六一四円が関西ペイント株式会社からの給与・賞与であり、七七万九六〇〇円が日急株式会社からの給与・賞与であること、原告の日急株式会社における本件事故前三か月間(昭和五九年一一月ないし昭和六〇年一月)の給与は、一か月平均三四万四八六六円(円未満切捨て)であること、原告は、本件事故に遭つたため、昭和六〇年二月八日から欠勤し、給与の支給を受けていないことが認められる。

右の事実によれば、原告は、本件事故に遭わなければ、昭和六〇年二月八日から症状固定の前日である昭和六一年一〇月一六日までの六一六日間、一か月当たり三四万四八六六円を下回らない収入を得ることができたものと推認される。この点につき、原告は、右の昭和五九年度の収入を基礎にベースアツプ分を加算して休業損害額を算定すべきであると主張するが、右のとおり、原告は、昭和五九年一〇月一五日より日急株式会社に再就職していたものであるから、今後、昭和五九年度と同じ収入を得ることは困難と考えられるし、右休業期間中にベースアツプがあり得たことについての立証もない。

したがつて、原告の休業損害は、次のとおり、七〇八万一二四八円となる。

34万4866円×616日/30日=708万1248円(円未満切捨て)

8  後遺症による逸失利益 二五一七万五九〇七円

甲二、一六、二八及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故の結果、四肢痙性不全麻痺、左顔面神経麻痺等の障害を残して、昭和六一年一〇月一七日に症状が固定したこと、右後遺障害は、自動車保険料率算定会により自賠法施行令二条別表後遺障害等級表五級二号に該当するとの認定を受けていることが認められる。

ところで、原告は、右後遺障害は右等級三級三号に該当すると主張するところ、甲一六、二八によれば、原告は、本件事故による受傷の結果、神経系統の機能又は精神に著しい障害が残り、そのため、身体的能力が甚だしく低下したのみならず、痴呆前状態ないし準痴呆状態となり、医師により、労働は「不能」(甲一六)、「全く不能」(甲二八)と判定されていることが認められる。してみると、原告の障害の程度は、「特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」にとどまらず、終身労務に服することができないものとした右等級表三級三号に該当すると判断するのが相当である。

右の事実によれば、原告は、本件事故の後遺障害により、前記の症状固定の日から満六七歳に達するまでの八年間を通じて、その労働能力の一〇〇パーセントを喪失したものと認められる。そして、原告は、本件事故に遭わなければ、右の期間中、前記のとおり、一か月当たり三四万四八六六円を下回らない収入を得ることができたものと推認されるので、この額を基礎としてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の逸失利益の本件事故当時における現価を算出すると、次のとおり、二五一七万五九〇七円となる。

34万4866円×12×(7.9449-1.8614)=2517万5907円(円未満切捨て)

9  慰謝料 一八〇〇万円

(一) 入通院慰謝料

原告の受傷の部位・程度、入通院期間等を考慮すると、三〇〇万円が相当である。

(二) 後遺症慰謝料

原告の後遺障害の内容・程度等を考慮すると、一五〇〇万円が相当である。

10  小計

以上の1ないし9を合計すると、原告の損害は、合計六九〇七万六一七六円となる。

四  損害の填補、過失相殺

1  原告が労災保険から合計七二二万七一六七円の給付を受け、これが損害に填補されることは、原告の自認するところである。したがつて、前記損害額から右金額を控除すると、残額は六一八四万九〇〇九円となる。

2  次に、前記のとおり、過失相殺として原告の損害額からその一割を減ずるのが相当であるから、過失相殺後の残額は五五六六万四一〇八円(円未満切捨て)となる。

3  更に、原告が自賠責保険から一二九九万円(治療費相当分を含む。)、被告大鐘から二〇万円の支払を受け、これが損害に填補されることは、原告の自認するところである。したがつて、右金額を控除すると、残額は四二四七万四一〇八円となる。

五  弁護士費用 三〇〇万円

原告が被告大鐘に対し本件事故と相殺因果関係のある損害として賠償を求め得る弁護士費用は、三〇〇万円と認めるのが相当である。

六  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、被告大鐘に対し、四五四七万四一〇八円及びこれに対する本件事故後である昭和六〇年二月八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 河邉義典)

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